先端技術と『倫理』について

 

技術進化がとめどない昨今では、それをどのように扱うべきかを判断するために、『倫理』の検討を、という話をよく聞くようになった。

 

だが、私は以前から疑問に思っているのだが、そんな『倫理』は誰が、どんな資格で、あるいはどんな権利で語り、適用するのか。世界を滅ぼすかもしれないというような、世界レベルの問題に関わる世界的な合意ができるような、『倫理』の基盤などこの人類社会にあるのだろうか。あまりに進歩しないままに放って置かれているのではないか。

 

ちょうど、自動運転のトロッコ問題(モラルジレンマ)の問題に対応する新しい取り組みが始まったという記事を読んだので、『倫理』について漠然と考えていたことを併せてまとめておこうと考えた。

http://自動運転車のAIに「人間の生死」を教える、大学教授の狙い | FUZE

 

とりあえず記事は書けたので、追って(明日)第1ブログで公表するが、まだ書ききれずに残った論点が沢山ある。例えば、そもそも現代の倫理、正義の最前線はどこにあるのかという問題。以前少し書いた記憶もあるが、再度、ちゃんと整理しておきたいと考えている。

 

もっとも、私は、何か形がある『倫理』が明確に世界に君臨すべき、などと考えているわけではない。そんなものが君臨したら次の瞬間から、抑圧となり、人を監獄にぶちこむ根拠になり、ろくなことはない。変化の早い時代に、そんな固定的ものを置くのはかえって災いの元になる。そうではなく、議論が活発になることが何より肝心だ。人の議論をしようという意欲、熱気こそが社会を救う。私はそう信じている。だが、それこそ今、社会で一番希少なものの一つであり、無い物ねだりと言われてしまいそうだが・・。